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「三国志」の翻訳者・湖南文山(天龍寺僧侶・義轍と同一人物)による自筆の「三国志」です。 出品箇所の場面は、第一部「桃園結義」の序文で、これから「三国志演義」の物語が始まる部分です。 来歴ですが、仙台藩伊達家から、仙台藩医の大槻玄沢と木村寿禎に渡り、その後は実家で所蔵していました。(過去の所蔵者の落款は画像の9枚目にあります。) 出品したものは木村寿禎の落款があります。 三国志の自筆は、出回ることが殆どないようで、大学でも東北大学のみに保管されているようです。 実家の整理のため出品いたします。お好きな方いかがでしょうか。 <湖南文山(天龍寺の僧侶・義轍)について> 江戸時代に「三国志演義」が初めて日本語に翻訳されました。翻訳者は「湖南文山」です。「湖南文山」について、その後の研究により、「天龍寺の禅僧・義轍が着手し、彼の病没後に弟の月堂が完成させた」という記録が発見され、「湖南文山」は「義轍」の筆名であることがわかりました。江戸時代の天龍寺は、朝鮮や中国との外交の最前線に人材を送り込んでおり、漢文に精通した人材が豊富であったことから「三国志」の翻訳も可能だったようです。 <サイズ> [額縁]縦33.8㎝、横25.1㎝ [断簡]縦24.1㎝、横7.8㎝ <読み下し文と現代語訳> 《「三国志」巻一・天地を祭りて桃園(とうえん)に義を結ぶ》 《大将軍》・・・・・竇武(とうぶ)、太傳(たいふ)陳蕃(ちんばん)、司徒(しと)胡広 (ここう)、三人相ともに天下の政務をつかさどりて、君を輔佐(ほさ)したてまつる。そののち内官(宦官)に曹節(そうせつ)、王甫(おうほ)というものあり。諂佞(てんねい)にして君をあざむき、みだりに権柄(けんぺい)(権力で人をおさえつける)をもっぱらにせしかば、竇武(とうぶ)、陳蕃(ちんばん)これを誅(ちゅう)せんとして、計(はかりこと)もれきこえ、かえってその身を害せらる。これより内官いよいよ志を得て、ほしいままに朝綱(ちょうこう)[朝廷を左右する力〕を手ににぎれり。 建寧(けんねい)二年四月十五日、帝温徳殿(うんとくでん)に出御(しゅつぎょ)なりて、すでに御座につかんとし」・・・・・ ※読み下し文は文字数の関係で入らなかったため、コメント欄に記載します。 通俗三国志
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