江戸時代に書かれた南方録「岐路弁疑」の古筆切です。もともとは冊子本でしたが、後に寸断されました。 当時南方録は書写できる人が限られていたため、江戸時代の南方録はなかなか手に入らないようです。 出品した南方録(断簡)の筆者は「方子姫」です。方子姫は仙台藩第6代当主・伊達宗村の娘で、出雲松江藩第10代当主・松平治郷(不昧公)の正室です。方子姫は、「静姫」「静楽院」とも呼ばれていました。 旧所蔵者は、仙台藩医師の「大槻玄沢」です。断簡の右上に「玄澤」の落款印がございます。 <南方録について> 利休流茶法の秘伝書と称される茶の本。利休高弟を称する堺の南宗寺の塔頭集雲庵(しゅううんあん)第2世南坊宗啓(そうけい)が利休茶法を聞き書きしたものであるということから、最近まで『南坊録』の名で伝承されてきたが、現在流布本の底本とされる福岡藩黒田氏家老立花実山の自筆本が『南方録』となっているため、表記のとおりとすることで定着したといえよう。 全体の構成は、巻一「覚書」、巻二「会」、巻三「棚」、巻四「書院」、巻五「台子(だいす)」、巻六「墨引」、巻七「滅後」の七巻からなる。実山は本書発掘の経緯を「滅後」の奥書と、その著『岐路弁疑(きろべんぎ)』で述べている。 <旧所蔵者:大槻玄沢について> 江戸時代中期-後期の医師、蘭学者。 宝暦7年9月28日生まれ。一関藩(岩手県)藩医建部清庵に医学を、江戸で杉田玄白、前野良沢に蘭学をまなぶ。長崎に遊学後,天明6年江戸で仙台藩医となり、京橋に日本最初の蘭学塾芝蘭堂(しらんどう)をひらく。著作に「重訂解体新書」「蘭学階梯(かいてい)」など。 <古筆切の状態について> 江戸時代のものですので、黒ずみやシミがございます。断簡はA4サイズの厚紙に貼付されております。 ※額縁には小さな傷がございます。 <読み下し文、現代語訳について> 今回出品した「岐路弁疑」ですが、現代語訳がございません。読み下し文のみとなります。 <サイズ> 断簡: 縦27.8㎝、横8.8㎝ 額縁:縦26.4cm、横35cm 茶道具 茶道 茶掛 千利休 骨董
条件がうまく整理できない、いま住み替えられる物件を探したいなど、あなたの状況に合わせた住まいの探し方を選ぶことができます
店舗相談やビデオ通話相談等から選べます。
相談方法を選ぶアドバイザーに相談する無料(土日祝日OK 10:00〜19:00)